本田宗一郎    

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本田宗一郎     本田技研工業創業者

、日本の実業家、技術者。本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。

99パーセントの失敗を積み重ねる

「大事なのは、新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99パーセントの失敗が積み重ねられていることです。

自動車修理工場の丁稚として、掃除と赤ん坊の下の世話の下積みからたたきあげ、一代で、「世界のホンダ」の名を轟かせた経済界の風雲児本田宗一郎は、本田技研工業社長退任の挨拶の中で、こう語りました。

純国産の自動車はほとんどなく、特にエンジンなどはすべて外国からの輸入モノだった時代に、「やるからには他人の後を追っかけるのではなく、アッと言わせるものをこしらえるんだ」と、何物の模倣でもない独自の発想と技術で「F1レース」を何度も制覇。「世界一速くて安全な車」を開発し、「和製エジソン」と評された天才的技術者、本田宗一郎。
しかし、「天才は99パーセントの努力と1パーセントの才能からできる」とかのエジソンも語っているように、宗一郎もまた、「99パーセントの失敗」を積み重ねて成功を勝ち取り続けたのです。

創意工夫で貧乏鍛冶屋から脱却した父1906年(明治39年)、静岡県磐田郡光明村の腕利きの鍛冶屋の長男坊として、宗一郎は生まれました。鍛冶屋としての父・儀平の腕前は抜群でしたが、頑固一徹、どんな小さな仕事でも手を抜かずに創意工夫をこらしていくため、利益率が悪く、炉にくべる炭にも不自由する貧 乏鍛冶屋でもありました。

そんな頑固者がビジネスチャンスに恵まれたのは、自転車が普及し始めてからでした。修理に持ち込まれる自転車を分解修理しているうちにその構造をすっかり理解してしまい、修理に必要な工作機械まで自作。

現代人の高級車に当たるほど高価な自転車の中古車を安く買い集めて新品のようにピカピカに仕上げ、安く売るとこの再生自転車は飛ぶように売れました。技術と創意工夫と行動力で、時代の流れをつかんで、父は貧乏鍛冶屋から脱却したのです。

そんな父親の背中を見て育った宗一郎もまた、手先が器用で、新しモノ好き、機械好きな子供でした。自転車以上に希少価値のあった自動車が村を通ると遠く見えなくなるまで、どこまでも追いかけていくので した。

「オヤジが自転車を作るように、オレは必ず自動車を作ってやろう。」いつしかそう心に固く決めていました。

貪欲に知識と技術を吸収し独立

宗一郎が高等小学校を卒業し、自動車修理会社のある東京に丁稚奉公に行ったのは16歳。丁稚は、無給の住み込みで何年か働き、親方や兄弟子の技術を盗み見て自分で覚えていくという厳しいものでした。しかも、最初は子守りと掃除ばかりで、宗一郎はじれていました。しかし、ここが我慢のしどころだと、歯をくいしばってこらえていました。

「物事は考えようだ。毎日こうして自動車を眺め、その構造を見ていられるだけ、幸せではないか」と思い直し、掃除と子守りの合間に兄弟子たちの仕事を食い入るようにじっと観察し、すこしでも吸収しようとしました。

そんな毎日を一年ばかり送って、とうとうスパナを握らせてもらえるようになったのです。宗一郎の本領が発揮されるのは、それからでした。
彼は手先が器用な上に、天才的なカンを持っていました。遊ぶよりも自動車が好きで、朝早くから夜遅くまで、無我夢中でだれよりも貪欲に知識と技術を吸収し、ついに21歳に春、独立します。

当時輸入車ばかりで、一度故障すると海外から部品を取り寄せなければならず、時間が勝負の運送業者などはしびれをきらせていました。タイムリミットの中で、改良と工夫を重ねて部品を製造する工作機械や代用品を自分で設計して器用に作り上げ、どんな故障でも迅速に直してみせる宗一郎の会社は、たちまち繁盛するようになりました。

日本一ではなく世界一の自動車を宗一郎の創作欲はとどまることを知りませんでした。どんなに繁盛していても、修理は修理でしかありえない。何かこの手でオリジナルのものをつくりたいと、周囲の反対を押し切って自動車の重要な部品であるピストンリングの製造へ転換。ところが、3万本試作した50本を厳選して納品したうち、3本しか合格しないというありさまでした。しかし、彼は、決してあきらめようとはしませんでした。勉強嫌いだった宗一郎が技術だけではなく理論を基礎から勉強しようと、大学、研究所を数年間渡り歩いて研究を重ね、ついに大量生産に成功したのは、すべての資金を使い果たし、奥さんが質屋通いする倒産寸前の頃でした。

この間にピストンリングに関する特許を28件とっています。さらに、部品から自動車を、しかも「日本一ではなく世界一の自動車」を創ろうと本田技術研究所を設立したのは、戦後の何もない混乱の中でした。

ひとつの失敗をおそれて何もなし得ぬ人が多い中で、99の失敗をしてもひとつの成功を積み重ねてきた、おそろしくタフな男・本田宗一郎の生きざまを知る時、彼の言葉に、勇気を奮い立たされるのではないでしょうか。

「困らなきゃダメです。人間というのは、困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間は、やろうと思えば大抵のことはできるんだから」

『私評』

失敗続きの私にとっては『失敗のない人生なんか、面白くない』の本田氏のビデオは
久しぶりに涙が出た感動の動画だった。

行動しなければ『成功』『失敗』のふたつの結果はでない。
ここで問題になるのが自分自身の評価、判断である。

『成功』した、だから俺は素晴らしいと思い、傲慢になる人。
『成功』した、すべては協力してくれた方のおかげと謙虚になる人。

『失敗』した、俺は能力がないと諦める人。
『失敗』したが失敗を真摯に受け止め、反省し、原因を考え次に行動を移す人。

『成功』と『失敗』の分岐点は人知を超えた場合もあるだろう。
行動の結果に対して『成功』と『失敗』と評価、判断するのは貴方の頭であり、考え方である。

貴方の頭、考え方は貴方にものであり、決して他人のものでない。
神様が与えてくれた貴方だけのものである。

よって行動の単なる結果である『失敗』を活かすも殺すも貴方しだいである。
貴方は『失敗』することにより、貴重な経験をし、成功に一歩近づいたのだから。
行動しなければ『失敗』もなければ『成功』もなしである。

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